ボロボロになりながら俺たちはダンジョン29層から帰還した。
目的の雷ライオンは眞鍋さんの技で瞬殺だったが、皮を剥ぐ作業が大変だった。
キンニズムが知っていたから良かったものを……というか、あいつと北島で今もダンジョン内で皮を剥いでいる。
しばらくしたらルチェルが迎えに行く手はずだ。
20層からの進行はかなり揉めたが、岡崎を仕留めきれなかったことへの鬱憤が暴発した感じだ。
街に戻って一通り魔石を売った俺たちの帰路で待っていたのは凱旋パレードだった。
熱を帯びた街人の「勇者」とか「勇者様」という声が合唱のように聞こえる。
「こんな夜なのに凄い活気だよね」
「俺は早く帰って寝たいけど……勇者って何だろう」
その凱旋は大路の方で行われているみたいだ。
人通りが凄いから俺たちはギルドから真っ直ぐ小道に逸れている。
「そういえば、眞鍋さんジュエルズって名前のパーティで本当に良かったの?」
一度でもパーティを組んで帰還したらギルド名簿に記録が残るらしい。
そこで眞鍋さんはジュエルズと書いていた。
「良いも何も……北島がそうして欲しいっていうしさ……」
「私も北島」
「綾芽のことじゃないよ!」
眞鍋さんは何か変だな。妙に頬を染めて……何だろう。
今までそんな気配微塵もなかったのに。
「「勇者! 勇者! 勇者!」」
すぐそこで勇者という人の凱旋が行われているのか……自分を勇者と名乗るあたりでかなり痛い人間なのは確かなようだが。
「うるさいなあ」
眞鍋さんの貸家に来てもその声は聞こえるわけだからうるさいな。
まったく、普通こういうのは昼やらないか?
「綾芽? 破れた服は縫うから置いておいてね」
家に帰るってほっとするなあ。
ルチェルが俺の袖を引いた。
「大丈夫なの?」
ぶっきらぼうに聞いてくるルチェルに俺は頷いておく。
「狭間そこ邪魔」
「ごめん」
何だろうこの疎外感。
「ねえ狭間君、悪いんだけどちょっと頼まれてくれない?」
この居候に拒否権などあろうはずもない。
「喜んで……」
何を頼まれたかってこんな時間に小銭握らされて行くところなんて大したことじゃない。
教会へ行って水を貰ってくるだけだ。
聖水と呼ばれる水は飲用水として使えるらしく、それなりに重宝するらしい。
でもルチェルに頼めば水くらい出せると思うんだが……。
岡崎のことを心配したら2人はこれからルチェルと一緒に北島を迎えに行くつもりらしい。
それで一番手が空いている俺が水の補給に選ばれたわけだ。
ま、俺1人なら岡崎とは会ってもすでにマーキングしているので逃げられるからである。
ちょっと肌寒い夜に繰り出したはいいが、どうしても勇者が気になってしまう。
「てか、この街の教会の場所って」
城の近くだと言っていたはずだが、真っ直ぐとかそんな説明で分かるほど狭い街じゃない。
他に説明のしようが無いのも分かるけどさ。
「「勇者! 勇者!」」
まーだやってるよ。
流石に好奇心が抑えられない、あの人混みに突撃だ。
炎をいくつもくべて道を照らした中にあったのは行列に次ぐ行列。
住民たちは何をこんなに騒いでいるのだろうか。
「おめぇ知らねえのかよ! 勇者サマっつったら10年前に北の大陸を1つに纏めた偉業のお方だっぺよ」
「はあ」
北の大陸ね。どこだよそれって感じだ。
「あの、そんな方が何故この街に来たんですか?」
「ああ゛!? 聞こえないっぺさァ!」
「あのぉ!」
ダメだ、とりあえずその痛い勇者様だけでも拝むか。
「ちょっとごめんなさい! 俺にも見せて!」
全然崩れない人垣をかき分けながら途中まで進んで、視点移動すればいいじゃんと途中で気づく俺。
実体化して出来るのかどうか分からないが、やってみたらあっさりできてしまった。
目を瞑って視界を動かす感覚っていうのはなんだか凄い違和感だ。
「あれが勇者か?」
明らかに周囲から違って見える行列がある。
御輿に担がれてその台座の上で片肘突いている男の子。
後ろに女を侍らせてはいるが、どう見ても子供だ。
勇者とは誰かの王族だろうか、それにしてもあんな普通の子供が勇者と呼ばれて持て囃されるなんて常識では考えにくい。
俺たちみたいなチート持ちなのかも知れない。
ほとんど裸の女性をあの歳で後ろに付けているなんて将来絶対ろくな大人にならないな。
ちくしょう、羨ましい……それにしても教会遠いな!
もう道には月明かりしかない。
あの行列は俺と平行して王城に向かっているみたいだし、いつまでもうるさいよ。
道すがら歩いて行くと一際大きな屋根が見えた。
明かりも付いているし、きっとあれだろう。
入り口には誰もいない。本当にやってるのか?
それにしても重厚な作りだ。教会というところは儲かっているに違いない。
俺はそっと扉を開けて中を覗いてみる。
もちろんノックはしない。教会って民に開かれた場所だよな?
うん、人の気配なし。
俺は中に入ることにした。水を貰わなきゃ帰れないわけだしな。
拝聴部屋とでもいうのか、椅子みたいな気の利いた物もなくただ赤い絨毯のような薄い生地が敷かれているだけ。
少し小高くなった奥の台座には何かを模した彫像が建てられている。
これがこの世界の神の姿というやつだろうか。
普通に怖え。目を覆い隠した筋肉美の男だ。
ちゃんと着ているけど、先鋭的すぎてその美的センスはわからない。
「何かご用でしょうか」
突然背後から掛かった声に俺は肩を竦めた。
とても澄んだ美しい声の持ち主は目元こそ隠しているが、美しい手を晒して薄汚れたローブを着ている。
「ええと、聖水を頂きに着ました」
「どなたかご病気ですか?」
「いえ、連れが欲しがっていて俺は代理です」
「そうですか」
割とあっさりとくれるらしい。
こちらへどうぞと案内される。
奥まったところにある部屋は四面が石で囲われていてまるで囚人を閉じ込めておく檻のようだ。
こんなところに水があるのか? それともここで待てということだろうか。
それからややあって便宜的にシスターと呼ぼう。シスターは俺に近寄る。
「何か他にご入り用ではございませんか?」
「何のことですか?」
他にも頼まなければならないのだろうか。
お金を渡そうとするとシスターは首を軽く振った。
「ここは悩める愚者を導くところです」
そう言ってシスターはしゃがんだ。
具合が悪いのかと思って一瞬夜に来たことを後悔したが全然違っていた。
なんとシスターは俺のズボンを下ろしだしたではないか。
「何するんですか!」
後ろに下がると既に閉まっている木の扉の向こうで俺と同じように彫像の前に立つ男の姿が見えた。
よく見ればそこにもシスターが近づいて行き、俺と同じように話しかけられている。
眞鍋さんこれどういうことですか!?
「あの、本当にただ水が欲しくて来ただけなんです」
「そう言われても困ります。その、水は私が差し上げますから、ね?」
くすりと笑うシスター。ね? じゃないよまったく!
まあ、楽しむつもりで来たならそれでもいい。
でも俺は本当に何も知らなかったわけで……こんな罠に嵌めるような真似をされて冷静でいられるわけがない。
「んん!?」
不意にキスされて魔装になりかけたぞ!? と、なんか視界がちかちか光って……ああ、何か良い香りだ――って違う!
眞鍋さんに怒りを覚えながらシスターを突き飛ばす。
シュレに操を立てたわけじゃないけど、こんな見ず知らずの人とこんなことする気分になんかなれない。
「「勇者! 勇者! 勇者!」」
うるせぇ、何だとすぐ後ろの扉の穴を覗くと外には例の勇者が彫像の前で祈っているではないか。
「開きませんよ、鍵は内側から掛かるんです」
「お、おかしくないですか?」
俺はただの一般人ですよ。
「何もおかしいことなどありません、全ては勇者様のため私が――「俺勇者じゃないんだけど」
見せびらかしていた鍵が下にちゃりんと落ちる。
シスターは気を失ったようだ。
外の勇者はまだ祈っている。
もうかれこれ5分は経つか? 勇者コールはないが、見物客はざわつき始めた。
「おい! どういうことだ! ここでルウニーネの加護を受けられる手はずじゃなかったのか!?」
子供勇者がキレ始めた……俺はちらりと気絶したシスターを見る。
司祭っぽい女があたふたした様子で近づいてきて勇者に頭を下げた。
「申し訳ありません! その、加護を授ける手はずのアリヤが今見当たりませんのです……」
「死ね! クソ司祭!」
ぎゃああ――と断末魔を上げながら司祭が地に伏した。
何今の。演技?
「僕を怒らせたアリヤとかいう神官はどこ?」
子供の気配はもうない。あれは間違いなく人殺しの経験があると思わせる醜悪な瞳。
ぐるりと周囲を見渡すと見物客ですら怯えていた。
「おお、これは勇者様!」
今度は長身の男がローブを纏って勇者に近づいて行く。
さっき気がつきましたという感じで周囲の剣呑な空気をものともせずに……。
「誰? お前」
ちんちくりんの子供にそんな対応をされてもニコニコと司祭風の男は一礼する。
「私はこの教会の神父であり、最高責任者です。何やら不手際がございまして、加護を授ける神官が現れないとか……」
ちらりと男はこちらを伺った。
うん、ここにいる気がします。
「その神官どこ? 殺すよ」
ちらりと気絶したシスターを見てみる。眠っている顔はなんとも可愛いものだけど、こんな子がここで身売りみたいなことをしていたなんて信じられない。
「それは困ります……が、仕方在りません。勇者様を怒らせた女など死んで当然ですからね」
「そうだよ、僕は誰よりも強い。強い人を怒らせたら死ぬのは当たり前だ」
あのガキ……とんでもねえ倫理観だ。
「ですが、そんなつまらない女を殺す前にこちらでご用意したよりすぐりの女性に朝まで気持ち良いことをして頂くのはどうでしょうか? その女はこちらで探して王宮の牢に突き出して置きますので」
「いいね、それでいいよ。僕ももう眠いんだ。はああ、あのクソデブ王が死んだら僕が王様なのに」
勇者の後ろの女達が笑っている。
俺は身の毛もよだつ思いで扉越しにそれを見ていた。
あの子供は本来ならぶん殴られてもいいくらいなのに大人たちが良しとしている。
全く意味不明だ。
さっさと立ち去りたいと思っていたら勇者をシスターたちが囲んでどこかへ連れて行ってしまった。
流石に勇者コールをしていた街人たちもこの騒動には肝を冷やしたのか、あれだけあった熱は氷点下まで下がったらしい。
「一体なんなんだあの勇者様ってのは……まるで暴君じゃないか」
「しっ、聞こえたら俺たち全員殺される」
矢継ぎ早に勇者の悪口が囁かれる中、蜘蛛の子を散らすように消えていった人集りの中で例の長身の神父がこちらに近づいてくる。
これは……どうするべきか……。
とりあえずこの子を取り込んで石に戻ることにした。
今はあんな意味不明な子供の前に出て行くのは御免だ。巻き込まれるなんて勘弁だし。
が、これが最悪の手段であったことは言うまでもない。
見捨てりゃ良かったなあ……。
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