ルチェルは走っていた。
俺は右手に握られたままどうしようも……言い逃れの出来ない欲情に身を焦がしていた。
なんていうか、こんな姿になっても欲情している自分が情けない。
景色は森、山、川、なんていうか何もない。
コンクリートがない。デパートや車、バスも電車も自転車もない。
道行く人すらいない。青い草とか見えたぞ。
「どうしてよ! どうして私だけこんな目に遭うの!」
それは俺も同じだよ。なんだよこの世界。
はっきり言って、こんなの夢だと思いたい。
けど一夜明けて自分の視界がずっとこんな球体の中だと分かれば俺も理解する。
死んだら人は石になるんだ。と。
「お嬢ちゃん? この馬車は客乗せじゃないんだが」
「どこでもいいから。近くの街まで一緒に乗せて」
「あいよ」
ルチェルの手からは藁を積んだ馬車が見えた。俺は馬車の荷台の上に置かれてしまう。
視線がかち合うが、ルチェルは心なしか俺を睨んでいるような……。
「言葉が通じるなら光って」
「えっ。お嬢ちゃん、俺の頭が光ってるって言ってるのかい?」
俺は精一杯体を光らせる努力はしてみるも何も起こらない。
力んだり弛緩してみたり、思い付くことは一通りやった。
「何よ……裸が見たいってわけ!?」
「えっ。お嬢ちゃん、急にどうしたんだい!? 誤解だ、俺ぁハゲてるが女房も子供もいるんだ」
「この意気地なし!」
「えぇ!?」
何か御者台の男は肩を縮めてしまっているが、このルチェルという子は外国人風にも見える。
すっと真横に伸びた眉に栗型の瞳、薄い小さな唇に小高い小鼻。
それにしなやかにウェーブした亜麻色の髪が美しい。
「つ、着いたぜ嬢ちゃん」
男と視線を合わせることなく馬車の荷台から降りたルチェルは周囲を見渡して一息。
「ちっさい村ね」
それを聞いた男が片手を上げる。泥だらけの汚い手だ。
「村は小せえがこれでもこの村の牛は街でも有名なんだ。……ん、何やら騒がしいな」
男はルチェルを置いていくがそれを気にもとめずに俺はルチェルに凝視される。
「やっぱりハゲの乳首じゃだめなのかしら」
死んでもお断りである。
――。
「すっげぇ! マベイラスパイダーを一撃だぜ!」
ルチェルと睨めっこしながら村の中央まで来ると人集りがある。
さすがにルチェルも気を取られたのか、その輪に入って行くとなんとうちの学校の制服を着たヤツらが数人固まっていた。
「今のなんて技なんだよ、なあ」
「魔女しか使えないと思っていた魔法をいとも簡単に出すんだねえ」
「この村はあんたらがいれば安泰だな」
村人に囲まれてにやけた笑みを浮かべているのは同じバス事故に遭った幸太、大地、立夏の3人だ。
立夏と大地、それに幸太までなんだってこんなところにいるのか。
とにかく3人とも無事で本当に良かったと思うと同時にルチェルが一歩前に出る。
「待ってよ! マベイラスパイダーを斃したですって?」
ルチェルに答えたのは村の若い男だった。農家よろしくとても体がしっかりした男は村の脇に縛られて紫色の血を流している不気味な生物を指さした。
「そうだ、あのマベイラスパイダーを一撃で斃したんだ。こう、雷でバリバリとな。圧巻だったぜ」
「レオも見たかったな!」
「あたしも!」
子供たちがはしゃぐ。
「嘘よ!」
ルチェルはそんなことを口走った。
「嘘なんかじゃねえよ、みんな見たぜ」
うなずき合う村人にルチェルだけ疎外感に包まれる。
まるで白い目で見られるような空間に耐えきれなくなったのかルチェルは3人を見つめると北島の奴が片手を上に掲げた。
「サンダーボルト!」
中二全開の台詞を叫んだと思った途端、周囲に轟音が響き村人が感嘆の声を上げた。
「「「おおぉぉ……」」」
唖然とするルチェルに村人たちに北島は自慢げだ。
俺は北島が電気人間だとは知らなかったのでただ呆けたように見つめるのみ。
「やりすぎじゃないか北島君、村のみんなを怖がらせる」
「そうよ」
「いえ、いえ、滅相もない! 我々は貴方たちのような強い方は大歓迎です。どうぞ、いつまでも村に居て下さい」
何やら話は村への優遇になっている。
で、俺は現実逃避にそのマーベラススパイダー……だかなんだかの蜘蛛を見ているのだが正直規格外だ。
手の平サイズが地球の一般的な蜘蛛の限界点だが、そのマーキングスパイダーだかなんだかは軽く熊くらいの大きさがある。
胴だけで熊だ。
脚も入れるとキモすぎてこんなものが村の周囲を歩いているなんて分かっただけで俺なら引きこもりまっしぐらだ。
「魔女の商売が上がったりだわ……」
ルチェルは呟くように吐き捨てて近場の宿屋に向かう。
おんぼろだった。
木造の家なのだが、穴が空いて外光が漏れ入ってるし埃っぽい。
おまけに店主はやけに不機嫌だ。
「納屋を借りたいのだけれど」
「構わないよ、あんた若いのに旅でもしてるのかい?」
「いいえ、 魔女(ウィーラー)です」
「あんだって!? 納屋は貸さないよ。出てっておくれ」
え? 何で追い出されるんだ?
ルチェルも当然のように出て行くし、まったく意味が分からない。
さて、広場にはまだ3人がいるようでルチェルはその3人に用があるらしい。
近づくと村長も丁度話を終えたようで3人は何やら話し始めていた。
「なあ、これってもしかしなくても地球じゃないよな」
「地球で手から雷が出たことある?」
「静電気なら」
「第一このスキルウィンドウって何なの? 呪文詠唱って?」
「ねえ」
ルチェルが話しかけると3人はルチェルを少し下目に見る。うん、ルチェル小っちゃめだ。
「あなたたちは 魔女(ウィーラー)なの?」
「ウィーラー? 何それ」
立夏は本当に分からないという風だ。俺も知らんがな。
「眞鍋さん、あんまり無知だと怪しまれるから迂闊に聞き返さない方が良いよ」
「相手は子供でしょ」
「それでもだよ」
ルチェルは少し眉間に皺を寄せて俺を握りしめる。もちろん痛くも痒くもない。
「ウィーラーは魔女のことです。男の魔女は聞いたことがないけど……魔法とか使ってああいうのを斃す仕事のことです」
指さした先には巨大蜘蛛がいる。
というか、この3人であれをやったのだとしたら脅威だ。凄すぎる。
「まああれを斃したのは俺たちだけど……別にそれを仕事にはしてないよ」
「仕事にするのは別にいいんじゃないか?」
幸太は乗り気のようだ。冒険心でもくすぐられているに違いない。
俺はただの石だけど長い付き合いの幸太のテンションくらいは読める。
「私はイヤよ、早く日本に帰る手段を見つけないと……」
眞鍋さんはここがまだ地球のどこかだと思っているらしい。
正直言って俺はもうここは地球じゃないと思う。
「迷惑ですからああいうのを斃さないで貰えますか?」
「え、なんで?」
「私の仕事なんです」
3人はお互いに顔を見つめ合う。
そりゃそうだろう、自分たちより年下の女の子が化け物退治してるなんて言いだしたらそれは脳みそ疑うよ。
「冗談でしょ?」
眞鍋さんの声にルチェルは応えなかった。
ルチェルの気持ちはよくわからない。
それより北島と幸太の視線が妙にルチェルに注がれている気がするんだよな。
なんだか気になる視線を受けながらルチェルは3人から立ち去った。
ルチェルは村の端まで移動すると鞄からナイフを取り出したので俺はぎょっとした。
『やめろよ? 絶対やめろよ?』
声に出してみるがやはりルチェルには聞こえていない。
すると木に向かってナイフを突き立てたので俺はほっと胸を撫で下ろす。
何をしているのかとじっと観察しているとどうやら何かを掘り出しているみたいだった。
やがて器用に手に持った木片を切り出していくと俺を何度も宛がいながら最後にはそこに嵌めこまれる。
『ペンダントとか手彫りで作ったのか?』
俺の視界はルチェルの胸に固定されて前よりも視界が高くなりしっかりと前方が見えるようになった。
これは純粋に嬉しい。
「お願い、私に力を貸して」
貸せるものなら俺も貸したいけど生憎とどうしていいかわからない。
ルチェルは次に村長の家を聞き込んで行くと村長宅では奥さんぽい老婆が顔を出し、ルチェルを見下ろすと如実に嫌そうな顔を浮かべた。
奥に招かれたルチェルは木を切り出した椅子に腰掛けるとそこで思いがけないことを口にした。
「仕事をください」
「あなたは魔女、ですかな」
「はい、私にもマベイラスパイダーの討伐を依頼して下さい」
これには驚くしかない。先の化け物退治を買って出ると言いだしたのだ。
いやいやわざわざそんなの退治しに行くか?
金になるのだろうか。
「まあ、私たちの村としても魔物退治はありがたい。しかし、村の危機は先ほど見たとおり彼ら3人によって救われました。あなたに頼むといえば、チャイルドマベイラを討伐して頂くことくらいになりますが……」
「それでいいです」
ルチェルは真剣だ。
あんな化け物退治にどうしてそこまで真剣になるのかとんと理解できない。
「では、一匹10メランで」
「10メラン……」
「ご不満なら――「いいです」
ルチェルは立ち上がると村長宅を後にした。
ちょっとだけ、ルチェルは怯えているように見える。
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