ケイの転生小説 - ボクは異世界で 90
 四天王の一体、黒翼の狂狼アルガーラフ。
 ルシアが叫んだその名は、いちおう、リーンさんから聞いていた。
 もっとも、詳しい容姿や能力は知らなかったし、てっきり楔の爆発に巻き込まれて死んだものと思っていた。

 それが、生きている。
 しかも遠く離れたこの世界樹にいる。

「アガ・スーに、なにをした」

 和弘が問うと、黒い大狼は笑ったような気がした。

 こいつは……いまのが、答えなのか?

『それより、手当てをせずともよいのか? この女、死ぬぞ?』

 はっとしたアリスとハクカが、黒い大狼のそばで倒れる啓子さんに駆け寄り、治療魔法をかける。
 彼女たちなら手足をくっつけることも容易だ。
 啓子さんの心臓も再生させることができるだろう。

 アリスとハクカが処置をする間、この狼型モンスターは微動だにしなかった。
 まるで、それをもって交戦の意志はないといってるかのようだ。
 実際のところ、こいつが先に飛び出してきて、あっという間に啓子さんを倒してしまったのだけれど……。

「真実、あなたがアルガーラフであるというなら、なぜアガ・スーを後ろから斬るような真似をしたのです」

 リーンさんの使い魔の鷹がルシアの伸ばした手に留まり、口をひらいた。
 大狼は首をもたげて鷹を見る。
 赤い瞳が、禍々しく輝いたような気がした。

『われが楔の喪失を望まぬからだ、世界樹の守り人よ』

「あなたは、魔王の配下として、魔王の意思のもと働いていたのではないのですか」

『その専従契約を破棄するために、少々、策を弄した』

 鷹がしばし、沈黙する。
 その間に、ミアが地上に降りてきた。
 恐れ知らずにもアルガーラフのもとへテコテコ赴き、鼻息がかかるほどの至近距離からその巨体を見上げる。

「ちょ、ちょっと、ミア! 危ないよ!」

 たまきが慌てて駆け寄ろうとするが、ミアは手でそれを制した。
 そもそもアルガーラフの足もとには、倒れた啓子さんと彼女を治療するアリスがいるわけだけども。

「おっす。わたし、田上宮観阿。よろしく」

『わが名は黒翼の狂狼アルガーラフである。なんのつもりだ』

「近くても遠くても、あなたがその気になればわたしたちは全滅。なら離れてる意味はない」

 アルガーラフは、哄笑した。
 止めに入ろうとした結城先輩が、面頬をぽりぽり掻いた。

 あー、ひょっとしてあれ、先を越されて悔しい、ってことか?

『変わったマレビトだ』

「よくいわれる。腹を割って話そう。あなたとわたしたちは共闘できる?」

『われにそのつもりはない。おまえたちは所詮、われの贄である』

 ミアの単刀直入な言葉に対して、アルガーラフはにべもなくその事実を突きつけてきた。

「でも、いま殺さない、それどころかこうして言葉をかけにきたってことは、わたしたちに利用価値があるってこと。なにをして欲しいの」

『傲慢であるな、マレビトよ。われは不快だ』

「そこをちょっと我慢して口で説明してくれれば、お互いに労力を省ける」

 唸り威嚇する大狼に対して、ミアはいっさい動じず彼を見上げてみせる。
 アルガーラフは、ふたたび哄笑した。

『三つの楔を守り、可能ならば四つ目の楔を奪還せよ。それでよい』

「ん。つまりアルガーラフはこの大陸が沈んじゃ困ると。魔王とは目的を別にしている。……魔王の目的は、あってる?」

『その通りである。しかし、おまえはいささか不遜だ』

 アルガーラフの双翼が動いた。

「アクセル」

 意識が加速する。

「ヘイスト」

 と黄金の光に包まれ僕は、ミアの身体を抱き寄せ、アリスとハクカの後方に移動する。
 アルガーラフは、僕を見て

『よくかわせたものだ』

 感心した顔でつぶやく。

「あなたが本気じゃなかったから見えただけだ」

『なるほど』

 そして、はっとした顔を浮かべた。
 ミアは、アルガーラフを見上げた。

『なおもわれと交渉するか』

「情報の対価としては安い。といってもアキっちに防がれたけどね」

『マレビトとは皆、こうなのか』

「話をさっさと終わらせる。四つ目の楔って?」

『その度胸に免じて、教えてやろう。……マレビトの山を探せ』

 ミアが微笑んだ。

 一方、ぼくたちは愕然としていた。
 アルガーラフの伝えたその単語で、いろいろなことを理解したのだ。
 喉がカラカラに乾く。

「学校の山でござるか」

 結城先輩が、声を絞り出す。

「では、ザガーラズィナーが山にやってきたのは、そのため……。いや、では我々がこの地にやってきた理由とは、そもそも……」

『情報を与えすぎたようだ。二度と会うこともなかろう』

 黒翼を持つ大狼の身が、一瞬、ブレた。
 次の瞬間、巨体が前方に移動する。
 おおきく息を吐き出す。

「もう、なにがなんだか、さっぱりだ……っ」

 和弘の言葉がすべてだ。



 アガ・スーのいた場所には、宝石が一個、落ちていた。
 傷ひとつない白い宝石。
 さすが四天王といったところか。

 ルシアに訊ねたところ、トークンとしての価値は千個分のようだ。
 もっとも白いマナ・ストーンなど伝説上の存在、お伽話に出てくるようなシロモノにすぎないとか。
 それがいま、和弘の掌のなかに存在する。

「神兵級より格上のモンスターとて、伝説のような存在ではありますが……」

「弱体化していて、この強さだもんなあ。しかもアガ・スーってどっちかっていうと面制圧型っぽいし」

 明らかに、ザガーラズィナーとはタイプが違った。
 多数の殲滅を得意とする相手に、少数精鋭で懐に飛び込み……かろうじて拾えた勝ち。

 だがそれすら、ほかの四天王によって弱体化した状態であったという。
 おそらく、あいつは持てるちからの数十分の一くらいしか出していないだろう。

 アガ・スーには切り札ともいうべき魔法の同時詠唱と植物操作があった。

 アガ・スーを倒したとはいえ、まったく安心できない。

「よかったわ!啓子さんがちゃんと治ったわね!」

 たまきの声で、われに返る。
 見れば、啓子さんの両腕は、あっさりとくっついた。
 アリスとハクカがほっと肩のちからを抜く。

 すぐ治療したからか、後遺症もないようだ。
 とはいえ、さすがに今日一晩は安静にさせるとのことであった。

「なにはともあれ、我々の勝利でござるよ! 皆、喜ぶでござる!」

 結城先輩が快活に笑う。
 たしかに、彼のいう通りだ。

 戦いは世界樹を防衛するぼくたちの勝利に終わった。
 結界の内側に侵入した魔物はすべて駆逐された。
 人類側は世界樹を守りきり、二か所の楔を奪還し、二か所の楔に攻め寄せていた敵軍を楔もろとも爆破した。

 五つの楔を巡る戦いは、膨大な犠牲を出したものの、かろうじて人類の勝利に終わった。
 だがぼくたちには、宴をひらくような余裕すらない。
 足をひきずり、まだ破壊の跡も生々しい戦場を後にする。