「あの、お義母様。一つ聞いてよろしいでしょうか?」
「なんですか?ティアナさん」
「義弟のルーク君のことなんですけど……」
私の名前は、ティアナ・フォン・ストラトス・ファブレといい、少し前まではティアナ・フォン・ランスターと名乗っていました。
ようするに、生家であるランスター騎士爵家からファブレ騎士爵家に嫁いだ身なのです。
ランスター騎士爵家は小さいながらも代々領地を治める貴族であり、当然婚姻は親同士が決めた政略結婚で、それは同じような立場にあるファブレ騎士爵家側も同じ。
顔を見たことがない男性に嫁ぐ。
これも貴族の家に生まれた女性の定めと覚悟しつつも、やはり女性としてはなぜか生家の書斎に置いてあった本に書かれた恋愛結婚にも憧れもするというもの。
憧れるくらいなら、別に罪ではありませんし。
それに、この結婚自体に文句があるわけではないのです。
僻地の騎士爵家とはいえ、同じ騎士爵家の次女が跡取り息子に嫁げるのだから、これは悪い話ではありません。
私は次女なので、普通は貴族の跡取りになど嫁げないのですから。
よくて、寄親である大貴族の大物陪臣の跡取りくらいが妥当というもの。
もしくは、同格の貴族の家臣になる次男より下の妻とか。
下手をすると大物貴族の妾や後妻、半ば身売り目的で大物商人に降嫁させられることだって珍しくないのですから。
旦那様になるマリオ様はどう考えていらっしゃるのか?
私は女性なので、男性が内心でどう考えているのか理解しにくいですが、大切にはされていると思います。
このように、生まれた時から嫁ぎ先の身分が決まっているという雁字搦めな世界において、貴族の跡取りに嫁げただけ、私は幸せだと思うしかありません。
「あの子は……」
ただ、その中で一人。
普段の行動がよく見えない子がいました。
ファブレ騎士爵家の末子であるルークという名の少年のことです。
お義母様が四十歳を超えてから産んだ子供なのは、貴族としては、かなり珍しいことです。
正妻が産んだことにしているけど、実は若い側室が生んでいました……なんてことは貴族の間では珍しくもなかったのですから。
実際、お義父様には側室さんがいらっしゃいますし。
生家の父にも側室はいるので、別に珍しいことでもありません。
「お腹を痛めて生んだ子ですが、放置するしかないのです」
お義母様は、重い口を開らきました。
まさか、生まれるとは思っていなかった八男ルーク君について。
生まれてからも大人しくて手がかからず、さらにちょうどその頃は、ファブレ騎士爵家が天地の森遠征で受けた疫病が流行し、毎日、忙しい日々を送っていたため、自然と放置してしまうことが多かったのだ。
ところがそれに不満一つ漏らすでもなく、クリスさんの付き添いで書斎に篭って本ばかり読んでいたそうです。
そして気がつけば、子供なのに自分たちよりも字の読み書きが得意になっていた。
「先ほど独立したローランさんのような子なのですね」
あの人とは少ししか話をしていないけれど、かなり頭がキレる人だ。
これは口に出せないが、自分の旦那様よりも領主に相応しいかもしれません。
そのせいか、旦那様とはその関係に距離感があるようにも感じていたが、ローランさん自身はあっさりと家を出てしまいました。
王都に向かい、そこで下級官吏の試験に合格したと、のちに手紙が届きました。
お義母様はそれを見て安堵していましたが、あの人ならば余裕で合格したであろうと、私などは思うのです。
「それだけはないのです」
お義母様によるとルーク君は六歳の頃にはローランさんやクリスさんと対等に話ができ、文字の読み書きから計算まで完璧に行えるようになっていたそうです。
「それに加えて、魔法も使えますからね」
どの程度使えるのかは、敢えて聞いていないそうです。
魔法が使えるのなら、成人後に家を出て独立しても生活には困らないですからね。
お義父様も旦那様も同じように思っているそうですし。
「どうしてそんな優秀な人材を放置するのですか?」
そこが不思議なのです。
せっかくの魔法の才能なのだから、あの子を領地の開発に使えばどれだけ作業が捗るか。
ファブレ騎士爵家大躍進のチャンスなのに。
「普通に考えれば、誰でもそう思いますよね」
ところが、そう簡単にいく話でもないそうです。
「ファブレ騎士爵領は、周囲から孤立しているのです。そのような共同体において、ルークのような存在は目立たない方がいいのです」
小さな子供が魔法を使えるからといって目立つのはよくない。
確かにそうかもしれません。
「色々と軋轢が起こるかもしれませんが、協力してもらった方が……」
みんなの生活がよくなるでしょうし、ルーク君も今の宙ぶらりんの立場を脱することができるはずです。
「抗いにくい誘惑ですが、それをすると御家騒動になりますからね。領民たちが騒ぎ始めるでしょう」
領民と領主との距離が近い、閉鎖的な田舎の領地で魔法が使える息子がいると知られたら。
しかもその子が跡継ぎでなかったとしたら……。
当然、お義父様に次期当主の交代を直訴する領民が増えるはずだと、お義母様が言葉を続けます。
ただの農民たちは遠慮するかもしれけれど、名主たちが直訴する可能性があり、それをされると無視できない影響が出てしまう。
なぜなら、彼らは領内の有力者なのですから。
「もしそうなれば、どんな混乱が起こるのか想像もつきません」
100%全員が賛成ならばいいのですが、当然そんなはずはなく。
もし、旦那様派とルーク派で後継者争いが起これば。
しかも、こんな僻地で混乱が起こっても外部からの援軍は期待できない。
なにしろ、お隣へはリーグ大山脈やリーグ海路を越えないと行けないのですから。
「それにもしそうなれば、あなたは次期当主夫人から転落ですよ」
そういえば、そうでした。
せっかく次期当主の正妻になれたのに、それを自分で捨ててどうしようと言うのか。
「…………」
醜い考えだけど、世間はそんなに甘くない。
ルーク君が当主になって発展するファブレ騎士爵家よりも旦那様が当主になって今の生活を維持するファブレ騎士爵家。
私は、絶対にそちらを選ばないといけないのですから。
「幸いにして、ルークはこの領地に興味はないそうです」
それはそうであろう。
彼は魔法が使えるのだから、冒険者としてでも、他の貴族のお抱えになってもいいのだから。
むしろそちらの方が、確実に実入りはいいはずだ。
「そんなわけで、ルークには自由にさせていいのです。むしろ、そちらの方が双方にとって幸せでしょう」
少し冷たいようにも感じるけど、これこそがお義母様なりの息子に対する愛情なのであろう。
下手に領地に欲を持ってしまい、己の腹を痛めた子同士が争う。
実際によく聞く話で、争いが本格的に起こればこれほどの悪夢も存在しないのですから。
「わかりました。でも、世の中とは侭成らぬものなのですね」
「ええ、侭成らぬものなのです」
共に溜息をつき、私はまた少しお義母様と仲良くなれたような気がしました。
一生を共にする家であり、家族なのですから。
たとえ義理の両親とはいえ、いえ義理の両親だからこそ、なるべく仲良くなった方がいいのですから。
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「なんですか?ティアナさん」
「義弟のルーク君のことなんですけど……」
私の名前は、ティアナ・フォン・ストラトス・ファブレといい、少し前まではティアナ・フォン・ランスターと名乗っていました。
ようするに、生家であるランスター騎士爵家からファブレ騎士爵家に嫁いだ身なのです。
ランスター騎士爵家は小さいながらも代々領地を治める貴族であり、当然婚姻は親同士が決めた政略結婚で、それは同じような立場にあるファブレ騎士爵家側も同じ。
顔を見たことがない男性に嫁ぐ。
これも貴族の家に生まれた女性の定めと覚悟しつつも、やはり女性としてはなぜか生家の書斎に置いてあった本に書かれた恋愛結婚にも憧れもするというもの。
憧れるくらいなら、別に罪ではありませんし。
それに、この結婚自体に文句があるわけではないのです。
僻地の騎士爵家とはいえ、同じ騎士爵家の次女が跡取り息子に嫁げるのだから、これは悪い話ではありません。
私は次女なので、普通は貴族の跡取りになど嫁げないのですから。
よくて、寄親である大貴族の大物陪臣の跡取りくらいが妥当というもの。
もしくは、同格の貴族の家臣になる次男より下の妻とか。
下手をすると大物貴族の妾や後妻、半ば身売り目的で大物商人に降嫁させられることだって珍しくないのですから。
旦那様になるマリオ様はどう考えていらっしゃるのか?
私は女性なので、男性が内心でどう考えているのか理解しにくいですが、大切にはされていると思います。
このように、生まれた時から嫁ぎ先の身分が決まっているという雁字搦めな世界において、貴族の跡取りに嫁げただけ、私は幸せだと思うしかありません。
「あの子は……」
ただ、その中で一人。
普段の行動がよく見えない子がいました。
ファブレ騎士爵家の末子であるルークという名の少年のことです。
お義母様が四十歳を超えてから産んだ子供なのは、貴族としては、かなり珍しいことです。
正妻が産んだことにしているけど、実は若い側室が生んでいました……なんてことは貴族の間では珍しくもなかったのですから。
実際、お義父様には側室さんがいらっしゃいますし。
生家の父にも側室はいるので、別に珍しいことでもありません。
「お腹を痛めて生んだ子ですが、放置するしかないのです」
お義母様は、重い口を開らきました。
まさか、生まれるとは思っていなかった八男ルーク君について。
生まれてからも大人しくて手がかからず、さらにちょうどその頃は、ファブレ騎士爵家が天地の森遠征で受けた疫病が流行し、毎日、忙しい日々を送っていたため、自然と放置してしまうことが多かったのだ。
ところがそれに不満一つ漏らすでもなく、クリスさんの付き添いで書斎に篭って本ばかり読んでいたそうです。
そして気がつけば、子供なのに自分たちよりも字の読み書きが得意になっていた。
「先ほど独立したローランさんのような子なのですね」
あの人とは少ししか話をしていないけれど、かなり頭がキレる人だ。
これは口に出せないが、自分の旦那様よりも領主に相応しいかもしれません。
そのせいか、旦那様とはその関係に距離感があるようにも感じていたが、ローランさん自身はあっさりと家を出てしまいました。
王都に向かい、そこで下級官吏の試験に合格したと、のちに手紙が届きました。
お義母様はそれを見て安堵していましたが、あの人ならば余裕で合格したであろうと、私などは思うのです。
「それだけはないのです」
お義母様によるとルーク君は六歳の頃にはローランさんやクリスさんと対等に話ができ、文字の読み書きから計算まで完璧に行えるようになっていたそうです。
「それに加えて、魔法も使えますからね」
どの程度使えるのかは、敢えて聞いていないそうです。
魔法が使えるのなら、成人後に家を出て独立しても生活には困らないですからね。
お義父様も旦那様も同じように思っているそうですし。
「どうしてそんな優秀な人材を放置するのですか?」
そこが不思議なのです。
せっかくの魔法の才能なのだから、あの子を領地の開発に使えばどれだけ作業が捗るか。
ファブレ騎士爵家大躍進のチャンスなのに。
「普通に考えれば、誰でもそう思いますよね」
ところが、そう簡単にいく話でもないそうです。
「ファブレ騎士爵領は、周囲から孤立しているのです。そのような共同体において、ルークのような存在は目立たない方がいいのです」
小さな子供が魔法を使えるからといって目立つのはよくない。
確かにそうかもしれません。
「色々と軋轢が起こるかもしれませんが、協力してもらった方が……」
みんなの生活がよくなるでしょうし、ルーク君も今の宙ぶらりんの立場を脱することができるはずです。
「抗いにくい誘惑ですが、それをすると御家騒動になりますからね。領民たちが騒ぎ始めるでしょう」
領民と領主との距離が近い、閉鎖的な田舎の領地で魔法が使える息子がいると知られたら。
しかもその子が跡継ぎでなかったとしたら……。
当然、お義父様に次期当主の交代を直訴する領民が増えるはずだと、お義母様が言葉を続けます。
ただの農民たちは遠慮するかもしれけれど、名主たちが直訴する可能性があり、それをされると無視できない影響が出てしまう。
なぜなら、彼らは領内の有力者なのですから。
「もしそうなれば、どんな混乱が起こるのか想像もつきません」
100%全員が賛成ならばいいのですが、当然そんなはずはなく。
もし、旦那様派とルーク派で後継者争いが起これば。
しかも、こんな僻地で混乱が起こっても外部からの援軍は期待できない。
なにしろ、お隣へはリーグ大山脈やリーグ海路を越えないと行けないのですから。
「それにもしそうなれば、あなたは次期当主夫人から転落ですよ」
そういえば、そうでした。
せっかく次期当主の正妻になれたのに、それを自分で捨ててどうしようと言うのか。
「…………」
醜い考えだけど、世間はそんなに甘くない。
ルーク君が当主になって発展するファブレ騎士爵家よりも旦那様が当主になって今の生活を維持するファブレ騎士爵家。
私は、絶対にそちらを選ばないといけないのですから。
「幸いにして、ルークはこの領地に興味はないそうです」
それはそうであろう。
彼は魔法が使えるのだから、冒険者としてでも、他の貴族のお抱えになってもいいのだから。
むしろそちらの方が、確実に実入りはいいはずだ。
「そんなわけで、ルークには自由にさせていいのです。むしろ、そちらの方が双方にとって幸せでしょう」
少し冷たいようにも感じるけど、これこそがお義母様なりの息子に対する愛情なのであろう。
下手に領地に欲を持ってしまい、己の腹を痛めた子同士が争う。
実際によく聞く話で、争いが本格的に起こればこれほどの悪夢も存在しないのですから。
「わかりました。でも、世の中とは侭成らぬものなのですね」
「ええ、侭成らぬものなのです」
共に溜息をつき、私はまた少しお義母様と仲良くなれたような気がしました。
一生を共にする家であり、家族なのですから。
たとえ義理の両親とはいえ、いえ義理の両親だからこそ、なるべく仲良くなった方がいいのですから。
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