時刻は午前十時ごろ。
育芸館から北東に十分ほど。
ぼくたちは北の森の入り口に立っていた。
全員、昨日の本校舎攻略時のようにリュックサックを背負っている。
なかには、カロリーメイトや水筒、方位磁針、ライター、ロープ、懐中電灯などが詰まっている。
山道に面した森の縁は、一見、以前となんの変わりもないように思える。
ただ、よく観察すれば、おおきな違いに気づく。
「鳥の声や虫の音が聞こえないわ」
志木さんがいう。
その通りだ。
森がやけに静かだった。
聞こえるのは、風で葉が揺れる音くらい。
不気味なほどの静謐さである。
打ち合わせ通り、志木さんがひとり、森のなかに入っていく。
少し暗がりに入ったな、と思った次の瞬間には、その姿が消えていた。
偵察スキルによる隠密の効果だ。
「志木さん、だいじょうぶかなあ」
たまきが、ぽつりと呟いた。
いやまあ、皆がそう思っている。
とはいえ……。
「新規メンバー以外で偵察スキルを持っているのは、志木っちだけ。攻撃系でもないスキルのランクを2まで上げるのは、なかなか厳しい」
ミアの言葉が全てであった。
組織がせいぜい十人と少し程度であったこれまでは、全体を俯瞰する立場の者が偵察を行なうことで、作戦立案から実行までの効率化に成功していた。
しかし今日からは、どうだろう。
新たに十二人のレベル1が出て、いまレベル1以上となっているのは合計で30人。
これだけの人数がいるなら、志木さんはそろそろ後ろにひっこみ、安全地帯で指揮を執るべきではないか。
ぼくたちの組織は、昨日から今日にかけて、ゆっくりと変化していくはずだった。
となると、単純に敵の攻撃がこちらの想定を上回るスピードであったというだけのことか。
そのぶんぼくたちは、リスクを負う必要がある……。
まあそれらも、すべて今後の話だ。
いまは目の前の作戦に集中するべきだろう。
ほどなくして志木さんが戻ってくる。
「少し先に弓持ちのオークが四体。樹上に展開しているわ。周囲を二体のジャイアント・ワスプが飛びまわっている」
緊張した声でそういった。
「弓持ちのオークは、肌の色が緑色で、まるで森に溶け込んでいるようだったわ」
と志木さんがいう。
なるほど、ただオークが弓を持っているってだけじゃないのか。
それに特化した、別のタイプのオークだと思った方がよさそうだ。
「月並みだけど、弓持ちのオークは以後、オーク・アーチャーと呼称。いいわね、カズくん」
「命名法則的には、アーチャー・オークじゃないの?」
「そう……なんだけど。英語的なおかしさが我慢ならないの。仕方がないわね。アーチャー・オークでいいわよ」
「すまないねえ、ばあさんや」
「それはいいっこなしでしょう、おじいさん」
胡散臭い二人の会話に呆れる。
「問題はこのアーチャーと蜂の布陣にどう対処するか、なんだけど」
「ジャイアント・ワスプは囮」
ミアが素早く、そう告げる。
「え、囮って、どういうこと」
大きな盾を持ったたまきが、小首をかしげた。
「森の侵入者がジャイアント・ワスプに気を取られているところを、アーチャーが狙撃。相手は死ぬ」
「うげぇ、それは厄介だわ」
「でもわたしたちは、もうからくりを知っている。警戒していける。むしろ先手を打てる」
その通りだ。
ではどうやってこの布陣を切り崩すか。
「ミア、きみならどうやる」
「ゲームなら、アーチャーの横か後ろにまわりこんで逆に狙撃。マップの端を移動しつつ順次、排除」
打てば響くように答えが返ってくる。
「でも、今回、それは諦めた方がいい」
「どうしてだ」
「まわりこめるほど部隊の統率が取れないし、まだ伏兵がいる可能性もある。ゲームと違って、ユニットの総数がわからない。ましてや戦場の端なんてない」
もっともな話だった。
ゲームと現実の区別がきっちりついている。
と、なると必然的に正面突破ということになるが……。
「こちらも囮を出して、敵の位置を明らかにしたあと、遠距離から仕留めるのが普通の作戦、かな」
ミアはそういって、ぼくたちを見る。
ああ、なるほど、囮ってつまり、ぼくたちの召喚魔法ですね。
「普通の作戦、ってことは、普通じゃない作戦もあるのか」
ミアはにやりとする。
「インサイでわたしが近づいて、パス・ウォールでアーチャーの乗っている樹に穴をあけて倒壊させる。アーチャーが落ちてきたところを、ふるぼっこ」
予想以上にえげつない作戦が返ってきた。
なおインサイとは、インヴィジビリティとサイレント・フィールドのことである。
中等部本校舎でやった奇襲作戦の変形だ。
「でも、そういうことなら、ランペイジ・プラントは使えませんか」
アリスが口をはさんだ。
ランペイジ・プラントは、二日目の昼、育芸館前の攻防戦で使ったランク3の地魔法だ。
樹を凶暴な生き物のように操り、周囲の生き物をすべて攻撃する。
「ランペイジ・プラントは、始動が遅い。樹が動き始めた時点でバレるから、奇襲の利点が薄れる」
ミアのいう通り、ランペイジ・プラントは、こちらが罠にかける時に最大の効果を発揮させられる魔法だ。
最初はそよ風に揺られたように木々が揺れ出し、少しずつ木々が凶暴化していく。
どうやら樹齢の高い樹ほど、操るのに時間がかかるらしい。
「いちおういっておくけど、アーチャーが乗っている樹って、かなり太いわよ。あの体格だから当然だけど」
志木さんが補足した。
なるほど、そういうことなら、いっそうランペイジ・プラントはきついか。
アーチャーを樹上の隠れ家から追い出す効果は期待できるが……。
ぼくは判断を求めて志木さんを見る。
志木さんは少し考えたあと、「ミアちゃんの作戦でいきましょう。ミアちゃんをガードするひとが必要ね」といった。
「たまきちゃん、あなたがミアちゃんの横について、盾で彼女を守ってくれないかしら」
「おっけー、任せて!」
なるほど、たまきの大盾で魔法使いをガードするって作戦か。
シミュレーションRPGっぽい戦術だなあ。
「じゃあ、カズくん、アキくん。バフをお願い」
まず、全員にフィジカル・アップ、クリア・マインドをかける。
ミアとユリコとシオネには、スマート・オペレイションで魔法の火力をアップさせる。
前衛にはマイティ・アームをかける。
次にウィンド・エレメンタルを召喚する。
この使い魔は、ぼくの護衛だ。
ある程度、森のなかに足を踏み入れたところで、ミアが自分とたまきにサイレント・フィールドとインヴィジビリティをかける。
サイレント・フィールドとインヴィジビリティは、効果時間が三分から四分と極めて短い。
そこで、この四発すべてに、和弘の付与魔法ランク5、エクステンド・スペルを乗せる。
これで効果時間は六分から八分。
作戦行動時間が、かなり延びる。
「作戦開始! ふたりとも、慌てるなよ!」
透明になっているはずのたまきとミアが、手を繋いで移動を始める。
今回、たまきは武器である銀の剣を鞘に収めたまま、左手で大盾だけを持って、右手でミアと手を繋いでいる。
志木さんの姿も消えていた。
作戦通りなら、隠密してふたりの後ろについていっているはずだ。
じりじりと時間が過ぎていく。
五分くらい経過しただろうか。
前方で、戦闘の音が聞こえはじめた。
「いきますっ」
アリスが駆け出す。
ぼくたちは、彼女を追いかける。
次
育芸館から北東に十分ほど。
ぼくたちは北の森の入り口に立っていた。
全員、昨日の本校舎攻略時のようにリュックサックを背負っている。
なかには、カロリーメイトや水筒、方位磁針、ライター、ロープ、懐中電灯などが詰まっている。
山道に面した森の縁は、一見、以前となんの変わりもないように思える。
ただ、よく観察すれば、おおきな違いに気づく。
「鳥の声や虫の音が聞こえないわ」
志木さんがいう。
その通りだ。
森がやけに静かだった。
聞こえるのは、風で葉が揺れる音くらい。
不気味なほどの静謐さである。
打ち合わせ通り、志木さんがひとり、森のなかに入っていく。
少し暗がりに入ったな、と思った次の瞬間には、その姿が消えていた。
偵察スキルによる隠密の効果だ。
「志木さん、だいじょうぶかなあ」
たまきが、ぽつりと呟いた。
いやまあ、皆がそう思っている。
とはいえ……。
「新規メンバー以外で偵察スキルを持っているのは、志木っちだけ。攻撃系でもないスキルのランクを2まで上げるのは、なかなか厳しい」
ミアの言葉が全てであった。
組織がせいぜい十人と少し程度であったこれまでは、全体を俯瞰する立場の者が偵察を行なうことで、作戦立案から実行までの効率化に成功していた。
しかし今日からは、どうだろう。
新たに十二人のレベル1が出て、いまレベル1以上となっているのは合計で30人。
これだけの人数がいるなら、志木さんはそろそろ後ろにひっこみ、安全地帯で指揮を執るべきではないか。
ぼくたちの組織は、昨日から今日にかけて、ゆっくりと変化していくはずだった。
となると、単純に敵の攻撃がこちらの想定を上回るスピードであったというだけのことか。
そのぶんぼくたちは、リスクを負う必要がある……。
まあそれらも、すべて今後の話だ。
いまは目の前の作戦に集中するべきだろう。
ほどなくして志木さんが戻ってくる。
「少し先に弓持ちのオークが四体。樹上に展開しているわ。周囲を二体のジャイアント・ワスプが飛びまわっている」
緊張した声でそういった。
「弓持ちのオークは、肌の色が緑色で、まるで森に溶け込んでいるようだったわ」
と志木さんがいう。
なるほど、ただオークが弓を持っているってだけじゃないのか。
それに特化した、別のタイプのオークだと思った方がよさそうだ。
「月並みだけど、弓持ちのオークは以後、オーク・アーチャーと呼称。いいわね、カズくん」
「命名法則的には、アーチャー・オークじゃないの?」
「そう……なんだけど。英語的なおかしさが我慢ならないの。仕方がないわね。アーチャー・オークでいいわよ」
「すまないねえ、ばあさんや」
「それはいいっこなしでしょう、おじいさん」
胡散臭い二人の会話に呆れる。
「問題はこのアーチャーと蜂の布陣にどう対処するか、なんだけど」
「ジャイアント・ワスプは囮」
ミアが素早く、そう告げる。
「え、囮って、どういうこと」
大きな盾を持ったたまきが、小首をかしげた。
「森の侵入者がジャイアント・ワスプに気を取られているところを、アーチャーが狙撃。相手は死ぬ」
「うげぇ、それは厄介だわ」
「でもわたしたちは、もうからくりを知っている。警戒していける。むしろ先手を打てる」
その通りだ。
ではどうやってこの布陣を切り崩すか。
「ミア、きみならどうやる」
「ゲームなら、アーチャーの横か後ろにまわりこんで逆に狙撃。マップの端を移動しつつ順次、排除」
打てば響くように答えが返ってくる。
「でも、今回、それは諦めた方がいい」
「どうしてだ」
「まわりこめるほど部隊の統率が取れないし、まだ伏兵がいる可能性もある。ゲームと違って、ユニットの総数がわからない。ましてや戦場の端なんてない」
もっともな話だった。
ゲームと現実の区別がきっちりついている。
と、なると必然的に正面突破ということになるが……。
「こちらも囮を出して、敵の位置を明らかにしたあと、遠距離から仕留めるのが普通の作戦、かな」
ミアはそういって、ぼくたちを見る。
ああ、なるほど、囮ってつまり、ぼくたちの召喚魔法ですね。
「普通の作戦、ってことは、普通じゃない作戦もあるのか」
ミアはにやりとする。
「インサイでわたしが近づいて、パス・ウォールでアーチャーの乗っている樹に穴をあけて倒壊させる。アーチャーが落ちてきたところを、ふるぼっこ」
予想以上にえげつない作戦が返ってきた。
なおインサイとは、インヴィジビリティとサイレント・フィールドのことである。
中等部本校舎でやった奇襲作戦の変形だ。
「でも、そういうことなら、ランペイジ・プラントは使えませんか」
アリスが口をはさんだ。
ランペイジ・プラントは、二日目の昼、育芸館前の攻防戦で使ったランク3の地魔法だ。
樹を凶暴な生き物のように操り、周囲の生き物をすべて攻撃する。
「ランペイジ・プラントは、始動が遅い。樹が動き始めた時点でバレるから、奇襲の利点が薄れる」
ミアのいう通り、ランペイジ・プラントは、こちらが罠にかける時に最大の効果を発揮させられる魔法だ。
最初はそよ風に揺られたように木々が揺れ出し、少しずつ木々が凶暴化していく。
どうやら樹齢の高い樹ほど、操るのに時間がかかるらしい。
「いちおういっておくけど、アーチャーが乗っている樹って、かなり太いわよ。あの体格だから当然だけど」
志木さんが補足した。
なるほど、そういうことなら、いっそうランペイジ・プラントはきついか。
アーチャーを樹上の隠れ家から追い出す効果は期待できるが……。
ぼくは判断を求めて志木さんを見る。
志木さんは少し考えたあと、「ミアちゃんの作戦でいきましょう。ミアちゃんをガードするひとが必要ね」といった。
「たまきちゃん、あなたがミアちゃんの横について、盾で彼女を守ってくれないかしら」
「おっけー、任せて!」
なるほど、たまきの大盾で魔法使いをガードするって作戦か。
シミュレーションRPGっぽい戦術だなあ。
「じゃあ、カズくん、アキくん。バフをお願い」
まず、全員にフィジカル・アップ、クリア・マインドをかける。
ミアとユリコとシオネには、スマート・オペレイションで魔法の火力をアップさせる。
前衛にはマイティ・アームをかける。
次にウィンド・エレメンタルを召喚する。
この使い魔は、ぼくの護衛だ。
ある程度、森のなかに足を踏み入れたところで、ミアが自分とたまきにサイレント・フィールドとインヴィジビリティをかける。
サイレント・フィールドとインヴィジビリティは、効果時間が三分から四分と極めて短い。
そこで、この四発すべてに、和弘の付与魔法ランク5、エクステンド・スペルを乗せる。
これで効果時間は六分から八分。
作戦行動時間が、かなり延びる。
「作戦開始! ふたりとも、慌てるなよ!」
透明になっているはずのたまきとミアが、手を繋いで移動を始める。
今回、たまきは武器である銀の剣を鞘に収めたまま、左手で大盾だけを持って、右手でミアと手を繋いでいる。
志木さんの姿も消えていた。
作戦通りなら、隠密してふたりの後ろについていっているはずだ。
じりじりと時間が過ぎていく。
五分くらい経過しただろうか。
前方で、戦闘の音が聞こえはじめた。
「いきますっ」
アリスが駆け出す。
ぼくたちは、彼女を追いかける。
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