森のなか。
落とし穴の前に、ぼくは立っていた。
先ほどまでの出来事が嘘のようだった。
だけどたしかに、落とし穴はあいていた。
オークの姿は消えていたけれど、竹槍の穂先には、青い血がべっとりとこびりついていた。
やはり、あれは現実だったのだ。
オーク。豚のような顔の化け物。
あれは本当にいて、ぼくはあれを……。
殺した。
思ったよりショックは少ない。
なぜだろう?
そういった疑問は、後でいいか。
ぼくはスキルを試してみる。
付与魔法からだ。
質疑応答によれば、付与魔法のランク1では、4個の魔法が使える。
魔法の使用にはMPを消費する。
だいたい、十回使用するとMPが尽きる。
MPを回復させるには、じっとしているしかない。
十分もじっとしていれば、一回分のMPが回復するらしい。
テストだ。
ぼくは自分の右手を見ながら、呟く。
「マイティ・アーム」
魔法を使用するには強く念じる必要があるという。
質疑応答では、キーワードを設定して言葉にするといいですよ、と親切なアドバイスがあった。
なるほど、アドバイスの通りやってみると、全身から脱力するような感覚とともに、右手が淡く輝いた。
ぼくは輝く右手で錆びた剣を持ち上げた。
軽い。明らかに剣が軽くなっていた。
いや、違う。ぼくの手のちからが強くなっているのだ。
これが魔法の効果なのだ。
ためしに、拳を握って近くの木を殴ってみた。
痛い。
木はびくともしていない。
手の甲の皮が少しずるむけた。
じわりと血が出る。
赤い血。
オークとは違う血の色。
ぼくは涙目になる。
魔法というものが実際に存在することはわかった。
次は、召喚魔法だ。
「サモン・レイヴン」
ぼくの目の前の空間が黒く歪んだ。
歪みのなかから、一羽のカラスが現れ、ぼくのそばの木の枝にとまると、かーと鳴いた。
「索敵」
ぼくはそういって、道路のある方角を指し示した。
カラスはまた、かー、と鳴いて、飛び立った。すぐ視界から消える。
数分で戻ってきた。
かー、と鳴いた。
ぼくの耳には、
「モンスターが一体、近くの木々をうろついています」
と聞こえた気がした。
それが空耳かどうか、確かめる必要がある。
ぼくはなるべく枯れ葉を踏まないよう気をつけながら、カラスが示す方へ向かった。
徒歩での五分が、やけに長く感じた。
そこをうろつく、二足歩行生物がいた。
豚の顔をした、裸の人間型の生き物。
肌は赤茶けていて、腹が出ていて、臭い。
オークだ。
オークは手に、さびた剣を握っていた。
オークの筋肉は意外とすごかった。
人間にとってのオリンピック級選手が、オークにとっての標準個体ということか。
ぞっとする話だ。
そんなやつと正面から殴り合いなんて、ぼくはごめんだと思う。
だけど、あいつを殺さないとレベルアップできない。
もう一度、あの白い部屋に行くことができない。
一度、魔法を使ったいま、質問したいことがまた山のようにできてしまった。
だからもう一度、あの部屋にいかなくてはいけない。
そのためにはレベルアップしなければならない。
そのためにはオークを倒さなくてはいけない。まずはあのオークを殺さなくてはいけない。
「やってやる」
ぼくはちいさく呟いて、拳をぎゅっと握った。
自分の足に意識を集中させる。
「フィジカル・アップ」
ぼくの両脚が、淡く輝きはじめた。
これは身体能力強化の魔法、特に脚力を強化する魔法なのだ。
オークがちょうどこちらに振りむいた瞬間、意を決して木々がない道路に飛び出す。
オークとの距離は二十メートルほど。
オークはこちらを見て、ぶもーっ、と叫んだ。
さびた剣を振り上げ、駆け寄ってくる。
ぼくを殺す気だ。
あの剣がかすりでもしたら、痛いに違いない。
ぼくはさっと身をひるがえし、いま飛び出てきたばかりの藪のなかに飛び込む。
はたしてオークは、ぶもーと叫びながら追ってきた。
ぼくは背後を振りかえらず、必死で逃げながら、よしと口の端を吊り上げる。
ぶもー、の声が少し遠くなっていく。
あれ、と思う。
そうだ、ぼくはいま、魔法で脚力を強化していた。
だからオークから逃げ続けていられる。
そのために付与魔法スキルを取得したのだ。
まずは生き残ることが肝要だと思ったからこそ、武器に関するスキルをガン無視して、付与魔法を選んだ。
それにしても、距離を取りすぎたか。
振りかえると、木々の間に赤茶けた肌がちらりと見えた。
距離は十五メートルくらいだろうか。
「こっちだ、豚野郎!」
ぼくは叫び、少し速度を落とす。
オークは、ふたたびぼくの姿を見つけたようだった。
猛然とこちらへ迫ってくる。
ぼくは慌てて逃げた。
追いかけっこは、まもなく終わる。
枯れ草が敷き詰められたその一角で、ぼくはぴょんとジャンプして、罠を飛び越える。
一方、オークはためらわずに罠を踏み抜いた。
落とし穴だ。
ぼくは穴に落ちたオークを上から見下ろし、竹槍で傷ついていることを確認した。
オークは、青い血をだらだら流し、怒り狂ってぼくを睨んでいる。
穴のなかで、さびた剣をむちゃくちゃに振りまわしている。
だけど剣は、とうていぼくのもとまで届かない。
あとは、トドメだ。
ぼくは竹槍を握った。
まだ、マイティ・アームの魔法は効いている。
ぼくは強化された膂力でもって、えいやっ、と竹槍を穴のなかに突き入れる。
槍の穂先が肉を食い破る感覚に、顔をしかめる。
それでも、何度も何度も突いた。
やがて、オークのうめき声が聞こえなくなる。
穴のなかを覗く。
オークの身体が薄くなって、消えていく。
さきほどと同じだ。
ぼくはオークを殺したのだ。二体目のオークを。
そして、オークの身体は完全に消えて……。
それだけだった。
なにもおこらなかった。
ぼくは、あの白い部屋にいけなかった。
「ま、想定内だ」
荒い息をつきながら、ぼくは呟く。
そう、これがコンピュータ・ゲームなら、レベルゼロからレベル1までの経験値とレベル1からレベル2までの経験値が同じなどということはありえない。
最低でも、倍だろう。
ぼくはそう考えている。
下手をしたら、三倍かもしれない。
四倍かもしれない。
ともあれ、まだ落とし穴はあとひとつある。
いざとなれば、さっき使った落とし穴を再利用すればいい。
オークが消えたあとの穴には、小指の爪くらいのサイズの赤い宝石が一個、転がっていた。
なんだろう。
ゲームでいうドロップアイテムだろうか。
ますますコンピュータRPGだ。
ぼくは一度、穴に下りて、赤い宝石を回収する。
ルビー?
いや、ぼくには宝石の区別なんてつかないけれど。
一応、ポケットに入れておくことにする。
最初に殺したオークの落とし穴も見てみたところ、さきほどは見落としていたが、たしかに同じような宝石が落ちていた。
こちらも拾っておく。
そのあと。
ぼくはふたたび、カラスを偵察に放った。
さきほど召喚した個体が、まだ残っていたのだ。
次に白い部屋にいったら、召喚したカラスがいつまで存在するのかも聞かなきゃいけないと思った。
やがて、カラスが帰ってくる。
「モンスターが一体、人間を追いかけています」
カラスはそういった。
次
落とし穴の前に、ぼくは立っていた。
先ほどまでの出来事が嘘のようだった。
だけどたしかに、落とし穴はあいていた。
オークの姿は消えていたけれど、竹槍の穂先には、青い血がべっとりとこびりついていた。
やはり、あれは現実だったのだ。
オーク。豚のような顔の化け物。
あれは本当にいて、ぼくはあれを……。
殺した。
思ったよりショックは少ない。
なぜだろう?
そういった疑問は、後でいいか。
ぼくはスキルを試してみる。
付与魔法からだ。
質疑応答によれば、付与魔法のランク1では、4個の魔法が使える。
魔法の使用にはMPを消費する。
だいたい、十回使用するとMPが尽きる。
MPを回復させるには、じっとしているしかない。
十分もじっとしていれば、一回分のMPが回復するらしい。
テストだ。
ぼくは自分の右手を見ながら、呟く。
「マイティ・アーム」
魔法を使用するには強く念じる必要があるという。
質疑応答では、キーワードを設定して言葉にするといいですよ、と親切なアドバイスがあった。
なるほど、アドバイスの通りやってみると、全身から脱力するような感覚とともに、右手が淡く輝いた。
ぼくは輝く右手で錆びた剣を持ち上げた。
軽い。明らかに剣が軽くなっていた。
いや、違う。ぼくの手のちからが強くなっているのだ。
これが魔法の効果なのだ。
ためしに、拳を握って近くの木を殴ってみた。
痛い。
木はびくともしていない。
手の甲の皮が少しずるむけた。
じわりと血が出る。
赤い血。
オークとは違う血の色。
ぼくは涙目になる。
魔法というものが実際に存在することはわかった。
次は、召喚魔法だ。
「サモン・レイヴン」
ぼくの目の前の空間が黒く歪んだ。
歪みのなかから、一羽のカラスが現れ、ぼくのそばの木の枝にとまると、かーと鳴いた。
「索敵」
ぼくはそういって、道路のある方角を指し示した。
カラスはまた、かー、と鳴いて、飛び立った。すぐ視界から消える。
数分で戻ってきた。
かー、と鳴いた。
ぼくの耳には、
「モンスターが一体、近くの木々をうろついています」
と聞こえた気がした。
それが空耳かどうか、確かめる必要がある。
ぼくはなるべく枯れ葉を踏まないよう気をつけながら、カラスが示す方へ向かった。
徒歩での五分が、やけに長く感じた。
そこをうろつく、二足歩行生物がいた。
豚の顔をした、裸の人間型の生き物。
肌は赤茶けていて、腹が出ていて、臭い。
オークだ。
オークは手に、さびた剣を握っていた。
オークの筋肉は意外とすごかった。
人間にとってのオリンピック級選手が、オークにとっての標準個体ということか。
ぞっとする話だ。
そんなやつと正面から殴り合いなんて、ぼくはごめんだと思う。
だけど、あいつを殺さないとレベルアップできない。
もう一度、あの白い部屋に行くことができない。
一度、魔法を使ったいま、質問したいことがまた山のようにできてしまった。
だからもう一度、あの部屋にいかなくてはいけない。
そのためにはレベルアップしなければならない。
そのためにはオークを倒さなくてはいけない。まずはあのオークを殺さなくてはいけない。
「やってやる」
ぼくはちいさく呟いて、拳をぎゅっと握った。
自分の足に意識を集中させる。
「フィジカル・アップ」
ぼくの両脚が、淡く輝きはじめた。
これは身体能力強化の魔法、特に脚力を強化する魔法なのだ。
オークがちょうどこちらに振りむいた瞬間、意を決して木々がない道路に飛び出す。
オークとの距離は二十メートルほど。
オークはこちらを見て、ぶもーっ、と叫んだ。
さびた剣を振り上げ、駆け寄ってくる。
ぼくを殺す気だ。
あの剣がかすりでもしたら、痛いに違いない。
ぼくはさっと身をひるがえし、いま飛び出てきたばかりの藪のなかに飛び込む。
はたしてオークは、ぶもーと叫びながら追ってきた。
ぼくは背後を振りかえらず、必死で逃げながら、よしと口の端を吊り上げる。
ぶもー、の声が少し遠くなっていく。
あれ、と思う。
そうだ、ぼくはいま、魔法で脚力を強化していた。
だからオークから逃げ続けていられる。
そのために付与魔法スキルを取得したのだ。
まずは生き残ることが肝要だと思ったからこそ、武器に関するスキルをガン無視して、付与魔法を選んだ。
それにしても、距離を取りすぎたか。
振りかえると、木々の間に赤茶けた肌がちらりと見えた。
距離は十五メートルくらいだろうか。
「こっちだ、豚野郎!」
ぼくは叫び、少し速度を落とす。
オークは、ふたたびぼくの姿を見つけたようだった。
猛然とこちらへ迫ってくる。
ぼくは慌てて逃げた。
追いかけっこは、まもなく終わる。
枯れ草が敷き詰められたその一角で、ぼくはぴょんとジャンプして、罠を飛び越える。
一方、オークはためらわずに罠を踏み抜いた。
落とし穴だ。
ぼくは穴に落ちたオークを上から見下ろし、竹槍で傷ついていることを確認した。
オークは、青い血をだらだら流し、怒り狂ってぼくを睨んでいる。
穴のなかで、さびた剣をむちゃくちゃに振りまわしている。
だけど剣は、とうていぼくのもとまで届かない。
あとは、トドメだ。
ぼくは竹槍を握った。
まだ、マイティ・アームの魔法は効いている。
ぼくは強化された膂力でもって、えいやっ、と竹槍を穴のなかに突き入れる。
槍の穂先が肉を食い破る感覚に、顔をしかめる。
それでも、何度も何度も突いた。
やがて、オークのうめき声が聞こえなくなる。
穴のなかを覗く。
オークの身体が薄くなって、消えていく。
さきほどと同じだ。
ぼくはオークを殺したのだ。二体目のオークを。
そして、オークの身体は完全に消えて……。
それだけだった。
なにもおこらなかった。
ぼくは、あの白い部屋にいけなかった。
「ま、想定内だ」
荒い息をつきながら、ぼくは呟く。
そう、これがコンピュータ・ゲームなら、レベルゼロからレベル1までの経験値とレベル1からレベル2までの経験値が同じなどということはありえない。
最低でも、倍だろう。
ぼくはそう考えている。
下手をしたら、三倍かもしれない。
四倍かもしれない。
ともあれ、まだ落とし穴はあとひとつある。
いざとなれば、さっき使った落とし穴を再利用すればいい。
オークが消えたあとの穴には、小指の爪くらいのサイズの赤い宝石が一個、転がっていた。
なんだろう。
ゲームでいうドロップアイテムだろうか。
ますますコンピュータRPGだ。
ぼくは一度、穴に下りて、赤い宝石を回収する。
ルビー?
いや、ぼくには宝石の区別なんてつかないけれど。
一応、ポケットに入れておくことにする。
最初に殺したオークの落とし穴も見てみたところ、さきほどは見落としていたが、たしかに同じような宝石が落ちていた。
こちらも拾っておく。
そのあと。
ぼくはふたたび、カラスを偵察に放った。
さきほど召喚した個体が、まだ残っていたのだ。
次に白い部屋にいったら、召喚したカラスがいつまで存在するのかも聞かなきゃいけないと思った。
やがて、カラスが帰ってくる。
「モンスターが一体、人間を追いかけています」
カラスはそういった。
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